源義経の軍が布和の関

11月4日、源義経の軍が布和の関にまで達したことで、義仲は頼朝の軍と雌雄を決する覚悟を固める。

一方、頼朝軍入京間近の報に力を得た後白河は、義仲を京都から放逐するため、義仲軍と対抗できる戦力の増強を図るようになる。

義仲は義経の手勢が少数であれば入京を認めると妥協案を示すが、後白河は延暦寺や園城寺の協力をとりつけて僧兵や石投の浮浪民などをかき集め、堀や柵をめぐらせ法住寺殿の武装化を計った。

さらに義仲陣営の近江源氏・摂津源氏・美濃源氏などを味方に引き入れて、数の上では義仲軍を凌いだ。

院側の武力の中心である行家は、重大な局面にも関わらず平氏追討のため京を離れていたが、圧倒的優位に立ったと判断した後白河は義仲に対して最後通牒を行う。

その内容は「ただちに平氏追討のため西下せよ。

院宣に背いて頼朝軍と戦うのであれば、宣旨によらず義仲一身の資格で行え。

もし京都に逗留するのなら、謀反と認める」という、義仲に弁解の余地を与えない厳しいものだった。
update:2010年03月07日